すでに旅行から1ヶ月が経ってしまい、いまさらながらですが・・・

尾道を離れ、その日のお宿は鞆の浦でした。古くからの風待ち・潮待ちの港です。
最近でもバイパスの道路工事計画が頓挫したとかニュースになってましたね。



確かに町中は所々離合ができないくらいの道路があったり、車が通り抜けできるのはカクカクとクランク状に曲がっていかないと行けなかったり、古くからの宿場町とか城下町のような狭さです。



山が海に迫っているような土地柄でもあり、陸上より海上交通に重きを置いたような所だったのでしょう。伊豆大島の波布港や鹿児島の坊津のように半円形の海岸線は天然の良港だったに違いありません。

この潮待ちの港の意味は町を見下ろす高台にある鞆の浦歴史民俗資料館のシミュレーション模型で何となくわかりました。瀬戸内を航行する船はどちらから来ても満潮の満ち潮に乗って鞆の港までやってきて、干潮の引き潮に乗って出港していく。というものでした。



そんな港ですから江戸時代には北前港としても栄え、朝鮮通信使が度々寄港。真言宗福禅寺が迎賓の場所として使われました。本堂隣の「対潮楼」が宿舎として使われ、座敷からは海と島が一望でき、通信使の李邦彦が「日東第一景勝」と賞賛しました。海援隊の「いろは丸」と紀州の船が衝突沈没する事件の賠償交渉にこの眺海楼が使われたことは大河ドラマ「龍馬伝」でもお馴染みです。



また現大河ドラマでも三条実美ら7人の公卿が、長州に下る際に寝泊まりした屋敷などもありました。保命酒(養命酒に似ています)を称えたと言われています。



そんなこんなで見どころの多い町ですから、物語の舞台やロケ地にもなってます。次回はそのお話を。

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[2015/10/29 13:52] 歴史 | TB(0) | CM(0)

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