教員に求められる資質
大分県の教員不正採用事件。大分県教育委員会は不正合格した教員の採用を取り消す一方、合格圏内なのに不合格とされた人は、希望があれば採用することを決めたそうだ(読売新聞より)。
ちょっと待って欲しい。たしかに先生になるのにおバカでは務まらない。でもかりにも先生になろうという人たちなら教員免許くらい持っているだろう。そのうえでの採用試験なのである。げんに今年度の「大分県公立学校教員採用選考試験・実施要項」にもちゃんと書いてある。
だから不正があったとはいえ、ある程度のレベルの人が採用されているのである。試験の点数はひょっとすると時の運だったかもしれない。それより現業の教員に求められるものはテストの点数なんかではないだろう。教育・生徒に対する情熱や愛情、少々のことにめげない不屈の精神。そんなものの方が大事ではなかろうか?今まで不正採用されたとされる先生たちでも不採用になった人たち以上に教員適任の人がいるのだと思う。
悪いのは採用側の教育委員会や口聞きをした県議・校長・教頭たちであって現場の教員ではない。組織の改革はトップが替わるのが一番である。教育委員会や県議・校長・教頭、こういう管理部門が腐ってるから事件が起きるのである。彼らを処分し更迭すればいいことで、あとは直接関わって名前が出てしまった先生の採用取り消しや合格ラインなのに不合格となったのが特定できる人の救済でいいと思う。
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ちょっと待って欲しい。たしかに先生になるのにおバカでは務まらない。でもかりにも先生になろうという人たちなら教員免許くらい持っているだろう。そのうえでの採用試験なのである。げんに今年度の「大分県公立学校教員採用選考試験・実施要項」にもちゃんと書いてある。
だから不正があったとはいえ、ある程度のレベルの人が採用されているのである。試験の点数はひょっとすると時の運だったかもしれない。それより現業の教員に求められるものはテストの点数なんかではないだろう。教育・生徒に対する情熱や愛情、少々のことにめげない不屈の精神。そんなものの方が大事ではなかろうか?今まで不正採用されたとされる先生たちでも不採用になった人たち以上に教員適任の人がいるのだと思う。
悪いのは採用側の教育委員会や口聞きをした県議・校長・教頭たちであって現場の教員ではない。組織の改革はトップが替わるのが一番である。教育委員会や県議・校長・教頭、こういう管理部門が腐ってるから事件が起きるのである。彼らを処分し更迭すればいいことで、あとは直接関わって名前が出てしまった先生の採用取り消しや合格ラインなのに不合格となったのが特定できる人の救済でいいと思う。
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コメント
うーーん。正論には反論しずらい。
教師、公務員の採用には、最後はコネだ・とは昔聞いたことがある。
同じドングリから選ぶのだ。
当落線上にあれば、身近を優先する。
それを排除するために「点数」だけで判断するのであれば
口だけではなく、金も必要になるのだろう。
教員免許は自動車免許と同じく「免許皆伝」ではないのだから
採用試験にペーパーテスト、実技テストの他に面接があってしかるべきと思う。
つまり将来性を見込むことだが
それは、点数ではないし、点数で無いとすれば「情実=コネ」の横行になるのか
どのようにしても、うまくいかないような気がする。
教師、公務員の採用には、最後はコネだ・とは昔聞いたことがある。
同じドングリから選ぶのだ。
当落線上にあれば、身近を優先する。
それを排除するために「点数」だけで判断するのであれば
口だけではなく、金も必要になるのだろう。
教員免許は自動車免許と同じく「免許皆伝」ではないのだから
採用試験にペーパーテスト、実技テストの他に面接があってしかるべきと思う。
つまり将来性を見込むことだが
それは、点数ではないし、点数で無いとすれば「情実=コネ」の横行になるのか
どのようにしても、うまくいかないような気がする。
採点方法
春日さん、はじめまして。
「踊る大捜査線」じゃないですけど、「教育は教育委員会でやってるんじゃない。
現場(学校)でやってるんだ」と言いたいですね。もっともできるだけ同じレベルの教育を施したいでしょうから採用試験は当然必要です。それでもそこに情実を持ち込まなければ決められないのは採点基準や採点側の体制に不備があるからでしょう。結局採用側の問題ということです。
ちゅうことで、じじい殿。
人事システムも工夫すれば点数化は可能です。すなわち人事考課でよくあるような協調性・独創性・継続性などなどの項目を作って点数化するのですね。もっとも初対面の面接でどこまで点数化できるかは疑問で主観的印象(好き嫌い)から情実=コネが入る要素はあり得ます。
しかし、誰が見ても変というような人事はどこかでボロが出てくるわけで、今回の事件も主流派から干された窓際もしくはライバルあたりからリークされた可能性があるでしょう。ひとすじなわではいかないのが人間社会ですから。
「踊る大捜査線」じゃないですけど、「教育は教育委員会でやってるんじゃない。
現場(学校)でやってるんだ」と言いたいですね。もっともできるだけ同じレベルの教育を施したいでしょうから採用試験は当然必要です。それでもそこに情実を持ち込まなければ決められないのは採点基準や採点側の体制に不備があるからでしょう。結局採用側の問題ということです。
ちゅうことで、じじい殿。
人事システムも工夫すれば点数化は可能です。すなわち人事考課でよくあるような協調性・独創性・継続性などなどの項目を作って点数化するのですね。もっとも初対面の面接でどこまで点数化できるかは疑問で主観的印象(好き嫌い)から情実=コネが入る要素はあり得ます。
しかし、誰が見ても変というような人事はどこかでボロが出てくるわけで、今回の事件も主流派から干された窓際もしくはライバルあたりからリークされた可能性があるでしょう。ひとすじなわではいかないのが人間社会ですから。


最後の件はすっごく共感です。
親がお金やら商品券やら渡したのをしらずに居た人だっているはずです。
色々な事があると思うし、なにより今の教育の現場が混乱することは避けなくてはいけないと思います。
だってどんな理由でもある日突然担任の先生が居なくなってしまったら、子供たち(特に低学年)への影響はいい影響があるとは思えないですから。
先ずは襟を正すのは教育委員会でしょう。
合否判定をする人間でしょう。
処分は上からです。