ぎふ鉄道博物館Vol.2 に行ったあと高校の同窓生で岐阜市の中山道を歩きました(こちらもVol.2)。

まずは岐阜駅からバスで鏡島弘法・乙津寺(かがしまこうぼう・おっしんじ)へ。


石碑によると、ここは乙津島という港(津)のある川中島にできた寺で、梅の話は伊勢神峠の八百比丘尼(やおびくに)伝説とか全国にある弘法清水の類ですね。



ここで昼食を食べてから出発です。中山道は弘法さんの少し前を通っています。



中山道を歩き出してすぐ、論田川(ろんでんがわ)に出会うところに追分があります。岐阜街道との分岐点です。手前においわけ屋薬局がありますね(^^;) 中山道は南東(右)に向かいます。



分岐点には論田川改修工事記念碑と「左 岐阜街道」の石碑、そして中山道の案内板があります。石碑の下の方に「せき 上有知(こうずち、美濃市) 郡上」と彫ってありました。



論田川を渡り、川沿いに歩いていくと、鏡島大橋から下りてくる環状線に出会います。
環状線を渡ったところに多羅野(だらり)八幡神社がありました。案内板にある小紅(おべに)の渡しは現役で、昔、自転車と一緒に渡ったことがあります。




案内板の地図でもわかるように中山道は斜めに走っています。その理由は岐阜市が長良川の扇状地および後背地に立地しているため、洪水時も水に浸からないよう微高地である自然堤防を辿ったことによります。

これは東山道が長良地内でも完全な東西ではなく斜めにルートを取っていることと同じ理由です。なるほど歩きながら交差点などで道の両側を見ると、微妙に両側に下がっていくのが見て取れます。

一里塚は街道筋が制定された頃は存在価値がありましたが、宿場や街道旅程表が整備されると必要性が薄れてきました。そのため塚が縮小されたり、無くなったりしたそうです。加納宿のものは中山道の横にありませんでした。現在は道から少し離れたお家のご好意で立てられているのだそうです。



旧西陸橋の道を渡ったところから加納宿です。中山道制定から、宿場の整備が整うには30年くらいかかったそうです。



加納宿・西番所跡にある愛宕・秋葉神社です。



岐阜駅南の通りにある道標・案内板です。



そこから岐阜駅のハートフルGに行き、中山道のガイドを務めていただいた松尾一さんに先回どうようレクチャーをしていただきました。加納宿の核心部分は2月に記事にしています(加納城跡旧加納町役場広重の加納宿)ので、ご興味がおありの方はそちらもどうぞ。

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[2013/05/08 00:00] 旅行 | TB(0) | CM(2)

乙津寺

乙津寺は渡し船を東京の友達に乗せてあげようと
案内した日、大雨で船は中止となり残念でした。
やむなくバスで鏡島行きに乗りそこに連れてゆき
ました。
乙津寺には彼女は感動してくれてほっとしました。
私もあのお寺ではたくさん歌が詠めてよかったです。
記事は、2009.10.5に書いています。
[2013/05/08 08:04] matsubar.k@wh.commufa.jp matsubara [ 編集 ]

ありがとうございます

昨日は出かける準備にバタバタしてまして、お返事できませんでした。

小紅の渡しは川止めでしたか!それは残念でした。お友達も江戸時代気分を味わい損ねましたね。いつかリベンジできるといいですね。
[2013/05/09 21:31] ナワ~ルド@ 旅の空 [ 編集 ]

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