先月、高校の同窓生と行った大桑城以来、歴史づいています。

岐阜新聞にも岐阜市歴史博物館学芸員・土山公仁氏のレポート「美濃戦国史の謎を解く」が毎週掲載されますので、楽しみに見ています。

昨日の11回目は斉藤道三と義龍の長良川の戦い前夜辺りの話でした。長良川の戦いは義龍が道三が可愛がっていた弟たちをおびき出して殺害し、自分が実権を握ろうとしたクーデターでした。1555年11月22日のことでした。道三は以前の居城・大桑城方面に逃れ、翌年の4月18日に鶴山に陣を移したそうです。

鶴山というのは後ろに眉山、高富街道を挟んだ隣に百々ヶ峰がある標高180mの独立峰です。私ら長良の人間からは見ると鳥羽川の橋を渡ったところにある郵政団地の裏山のことです。地図で示すとここになります。

下の写真は金華山から写した写真ですが、鶴山は高富方面から平野部に出る喉元に当たります。また道三の首塚といわれる道三塚は私んちから1Kmほど離れた所にあります。



道三の居城とされていた鷺山との位置関係もわかりますね。眉山からも稲葉山城の動静は見えるのですが、下の写真のように右に鶴山があって見えない部分があります。



鶴山は現在も登山道などはないようです。それでも郵政団地まで20m上がったくらいでも平野部は見えますから中腹くらいに陣取っても用は足せたことでしょう。しかし鷺山と鶴山という同じような鳥の名前を付けるとは面白いですね。


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[2012/07/12 01:50] 歴史 | TB(0) | CM(0)

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