fc2ブログ







お読みくださる前にランキング・アップにご協力くださると嬉しいです

昨日行ったお城です。
可愛いお城ですね。
というより、おもちゃみたいです。



このお城は大桑城(おおがじょう)と言います。
下の解説にあるように、斉藤道三が治める前に美濃の守護大名だった土岐頼芸の居城でした。土岐氏発祥の地は文字通り土岐市と瑞浪市の境あたりだったそうです。それが室町幕府発足の戦いで足利氏を助けて急成長。美濃・尾張・伊勢などを統治する大名になったそうです。

そこで本拠を河手城(現・下川手辺り)に移しましたが、木曽川の洪水による河道変更により枝広(長良)に本拠を移します。木曽川が南下したことにより城下町への舟運を長良川に移したのではないかと推論されるそうです。

ところが長良川でもすぐ河道が変わるような洪水が起こったため、濃尾平野最北端の大桑地区に城下町を移したのだそうです。

(クリックしてもらうと解説と絵図が拡大できます)

そんなところに斉藤道三との抗争が勃発したため、土岐頼芸は四国掘(ネーミングは美濃・尾張・伊勢・越前4ヶ国の人力・財力で造ったため)や越前掘を造って道三に対抗したそうです。そんな遺跡が大桑地内には残っていました。


(クリックしてもらうと解説と絵図が拡大できます)

また大桑城があったのは古城山と呼ばれる標高407mの山頂部です。当時は物見台程度のものがあったくらいですが、山頂近くの谷間には陶器類の破片が大量に出たそうで、山上部にも居住空間があったようです。戦国時代の山城は空堀や堀切などの防御設備が縦横に配置されていますが、ここも例外ではありませんでした。

それから土岐氏滅亡のあと、斉藤道三はその城下町からお寺などを岐阜市内に移しており、長良にある法久寺や祟福寺(そうふくじ)などの地名が上の絵図の中に見られるのは面白いです。少し前まで長良の法久寺の檀家さんが大桑にあったりしたそうです。また岐阜の旧市街地には上大久和町下大桑町という地名も残っています。

「面白いね」と思われた方はクリックしてくださいね~
関連記事

[2012/06/03 01:57] 歴史 | トラックバック(-) | CM(0)

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する



[PR]?u???O?J?E???^?[ ????/a>