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新島 襄といえば、我が母校の創始者にして、来年の大河ドラマ「八重の桜」のヒロイン、新島八重の夫にあたります。当ブログでも「新島 襄先生」と紹介したのでご存じのことでしょう。

私が一番尊敬する点は国禁を犯して海外渡航したことです。どんなに高邁な理想を持っていても実際に実行しなければ絵に描いた餅です。キリスト教でも浄土真宗でも教祖が偉かったのではなく、布教のために広い地域を歩き回ったペテロとか蓮如がいたからです(スーパー・スプレッダーがいればこそ)。新島襄はスーパー・スプレッダーではなかったものの、その実行力はずば抜けています。

そんな彼が海外渡航した地を私は学生時代に訪れたことがあります。ちょうど大学2年の夏、長期ツァーで東北から函館を経由して下北へ戻る時に最初に行きました。函館でどこを見るか?もちろん函館山は行きました。そのほかには・・・

そこで新島襄海外渡航の地碑を見つけたのでしょう。下の写真がそれです。残念ながらボケボケで何の石碑かもわかりません。メンバー全員が写っていますから撮影をしてくれた人がよほど下手くそだったのでしょう(ー_ー)こんな出来なのでアルバムに貼ってはありますが、何の写真かもわからなくなっていました。

新島襄海外渡航の地碑

これが新島襄海外渡航の地碑であることがわかったのは不思議な偶然でした。

HPの峠コレクション地図を作成しているときのこと、大学2年の東北ツァー、八甲田山の傘松峠を作ったあとはNo67雲谷峠の番でした。子細に位置を調べると、峠の位置が山の頂上にあります。さらに調べると、雲谷峠とは峠にあらず山のこと。だそうです。困りました。こんな若い番号だと2200も番号を振り直すのは大変なことです。峠地図を作るのですら遅々として進まないんですから・・・

そこで前後の行程を見直してみました。そこで見つけたのが函館から下北へ戻った大間付近の「折戸坂」というちっちゃな坂でした。峠の形態を成しているので即採用しました\(^o^)/ ではその辺りの当時の写真がないか?を調べたときに見つけたのが上のボケボケ写真でした。虫メガネで見ても何が書いてあるかわかりません。ふつうなら函館の写真でしょう。でもひょっとしたら大間の写真かも?

そこで函館の石碑で調べてみたところ、母校の創始者・新島襄海外渡航の地碑とわかったのです。いやあ、実に劇的でした。その結果が私たちの青春の証だったとは。まさに新島先生のお導きであります。

「ドラマチックやね~」と思われた方はクリックしてくださいね~
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[2012/04/20 00:54] 歴史 | トラックバック(-) | CM(2)

なんだこりゃ? ・・な写真って多いです。

函館という最果ての地?で偶然見つけた、当の大学創始者の偉大な碑!

だからこそ若者たちが狂喜乱舞し写真に納めたのでは?

・・・忘れちゃいましたか~

でも OK!
何十年も経った今、日の目を見られたんだから!
ドラマチックですよ。

ちゃんと残しておくもんですね、写真。

でも・・・もしかして、大間の 「本州最北端」 の碑だったりしてね・・・。
[2012/04/20 23:23] ソッシィ [ 編集 ]

残念ながら

そう、私もひょっとして大間の「本州最北端」の碑ではないかと思ったのですよ。
http://mitti65.cocolog-nifty.com/photos/aomoriiki/img_0107.html
でも「本州最北端」の碑はこんなんですからね。
明らかに違います。

じつは毎年発行してるクラブの部誌にツーリングの記録があります。書き手によっては日記のように丹念に記録したものもあれば、手分けして印象的なことだけ書くものもあります。

この年の私たちのレポートは後者でした。おまけにメンバーのひとりが退部していましたし、コースリーダーだった私は現地に到着早々ディレイラーをぶっこわしましたので、始めの数日は別行動してます。

そんなこんなで写真と記憶だけが頼りの酷いツーリングだったのですよ(ToT)
[2012/04/21 00:28] ナワ~ルド@峠おやじ [ 編集 ]

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