お読みくださる前にランキング・アップにご協力くださると嬉しいです
blogram投票ボタンblogramランキング参加中!

日本一の損保会社・東京海上保険の会長が、岐阜市安食の出身だったというと皆さん驚かれることでしょう。その人は各務鎌吉といいまして、太平洋戦争前に昭和天皇、東郷平八郎に継ぎ日本人としては3人目に米雑誌『TIME』の表紙を飾った人物だったそうです。



安食(あじき)というところは、私の峠コレクションNo1にあたる彦坂の近くにあります。「あじき」なるところは、江戸時代に天領だった方県(かたがた)郡蘆敷村が明治8年村山村と合併して安食村となり(中略)、昭和25年に岐阜市に編入されて今日に至っています。

何にしても地方の寒村ですわね。そんなところに生まれた各務鎌吉は西南戦争の頃、父親が大蔵省内の組織・駅逓寮に勤務していた関係で東京に移り、東京府立第一中学校(現東京都立日比谷高等学校)を経て、明治21年(1888年)に東京高等商業学校(現一橋大学)を首席で卒業しました。その後、京都府立商業学校教師等を経て、明治24年(1891年)に東京海上火災保険に入ります。いきなりロンドンに派遣され、放漫経営で破綻寸前だった社業を立ち直らせたそうです。

詳細はケース・スタディ日本の企業家群像を読んでいただくとわかりやすいかと思いますが、これを読むと実態は赤字経営なのにタコ足配当を続けていたこと、杜撰な代理店と契約していたこと、粉飾決算に近い会計手法がとられていたことなどです。どっかで聞いたような話です。

それらに対し各務は種々の改革を行い、会社は危機を脱し、成長繁栄への道を辿ります。そして彼は社長や会長になり、昭和に入ると日本郵船の社長・会長、三菱本社取締役など三菱財閥系企業各社の要職も歴任、貴族院勅選議員にも任じられます。そして昭和14年に亡くなったときには欧米の有力各紙(『London Times』など)が哀悼の意を表するとともに生前の彼の業績をたたえたそうです。

このように今で言えば経団連会長とか財界トップに近い人だったわけですが、ほとんど知られていませんね。派手さとか物語性がないからでしょうか?かの福地桃介にいわせると「俗人受けは悪いが、会社のため株主のためにはまたとない公僕である」と評しています。世襲ではない典型的なサラリーマン重役ですし、その業績に比して物語性がないためかマスコミや作家もちっとも取り上げませんから無名な存在になってしまったのでしょう。言うならば財界の落合監督といったところでしょうか?

少なくとも生まれ故郷の岐阜市民・岐阜県人としては知っているべき人でしょうね。

「本当ですね~」と思われた方はクリックしてくださいね~

関連記事

[2011/12/13 10:19] 歴史 | トラックバック(-) | CM(0)

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する



[PR]?u???O?J?E???^?[ ????/a>