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先日の9.12水害が起こった年の話です。
お客さんの所には水害の被害はアレコレあったものの、私の勤務店は水に浸かることもなく徐々に平穏を取り戻していきました。もちろん毎年行われていた運動会は被災した店などもあるので全社的に行うことは不可能ということで中止になりました。しかし私の勤務店では秋の慰安旅行は予定どおり行われました。ひとつの不安を除いては・・・

銀行の研修体系というのは職務上の集合研修やお店の職場内教育が主体になりますが、そのほかにも通信教育で法務知識や実務知識を学びます。そしてその知識習得度合を計る?ために各種の行外試験があります。色んな試験が受かることによってステップが上がっていきますから、指示されたように受け、合格していかねばなりません。

そしてそういう試験の実施日がなんと慰安旅行の2日目とバッティングしてしまいました。試験は絶対受けねばなりませんから本来なら慰安旅行を欠席するのが当然ですが、当時の支店長は保守的な人だったせいか慰安旅行の欠席も試験の欠席も許さない。即ち試験を受ける者だけ翌日の日曜日に岐阜まで帰って試験を受けろという命令でした。ですから楽しい慰安旅行も試験を控えている者にとっては重苦しいものだったのです(ー_ー)

慰安旅行当日は土曜日半ドン(死語ですかねえ?)で仕事が終わって、15時頃からバスで浜名湖舘山寺へ出かけました。もちろんホテルでは大宴会です。これはこれで楽しかったです。バスの中でも先輩お姐さまとデュエットしたり、ホテルでもマイクを握った写真が残ってるくらいですから。



そして翌日曜日に後ろ髪を引かれながら、一緒に試験を受ける先輩とふたりでホテルを出ました(ToT)そして浜松駅で新幹線に乗った途端、その列車が動かなくなりました。集中豪雨のためというアナウンスがあっただけでいつまでも動きません。弱りました(ー_ー)
「先輩、このままでは間に合いませんよ」
「どうしよう」ということで
「タクシーで行きましょう。高速を通って」
ということになりました。



そこで、新幹線の払い戻しを受けて駅前からタクシーに乗り込みました。
「岐阜市まで」
運ちゃん「ええっ!」です。
「新幹線、動かないし、今日どうしても岐阜まで帰らんとあかんのです。」
「わかりました。そのかわり燃料補給してから走らせて下さい」
とLPガスステーションに寄ってから東名高速に入りました。

高速に入ってからは不思議といい天気です。タクシーの運ちゃん、無線で報告をしてます。
「おれ岐阜まで走らんといかん」
すると他のタクシーから
「何を、おれは大阪までやぞ!」とか
「おまえら、ええわい、わしゃ九州や!」
なんて次々ととんでもない話が入ってきます。
その日、浜松のタクシーはてんやわんやだったみたいです。

そんなこんなをしながら岐阜市まで走ります。タクシーの運転手さん、岐阜へ来るまではいいけど帰りを不安がってます。私たちは試験の開始時刻がありますから、せかします。今みたいにカーナビなどなかった時代ですから基本的に
「来た道を帰ればいい」
としか言いようがありませんよね(^^;)

試験の開始時刻に少し遅れて到着しました。当時のお金でウン万円かかりました(全く覚えていません)。試験会場は銀行の施設でしたので研修課長が建物の入り口にいました。開口一番
「遅刻しやがって」みたいなことを言われたような気がします。
でもカクカクシカジカの事情を説明しますと
「ほー!そんな中をよー来たな」
「タクシーの領収書とかもらっとるか?研修費で払ったる」

と感激してタクシー台を払って貰った上、我々だけ別室で時間を延長(規定どおりの時間)して試験を受けさせて貰えました。

9.12水害のとき遅刻して叱られたので、今度は叱られないようにと頑張ったからでしょうか?遅刻はしたものの研修課長からお誉めの言葉をいただけました。1976年11月14日の話でした。

一緒にタクシーで岐阜まで帰ってきた先輩は、いま上司になってます(^^ゞ

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[2011/09/14 00:11] 旅行 | トラックバック(-) | CM(0)

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