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山崎の合戦後、明智家は滅亡。
細川家に血脈は残したものの、明智の名前を残せなかったのに対し、
織田家は子だくさんだったことも幸いし、何家かが現在まで存続しているそうです。

(家系図はお館様から拝借)


嫡男・信忠系は孫の秀信が関ヶ原の戦い後に高野山預かりとなって病死。
三男信孝は賤ケ岳の戦いの後、知多の内海で自害させられます。

次男信雄(のぶかつ)の四男・信良(のぶよし)ははじめ上野小幡藩となりました。これが昨日ジャンさんがコメントされた織田家の里になります。、明和事件に伴い出羽高畠藩に転封され、さらに陣屋の移転に伴って出羽天童藩主(現当主、織田信恒)となり廃藩置県を迎えます。
信雄の五男・高長(たかなが)は当初、大和宇陀松山藩主であったものの、御家騒動に伴う転封によって丹波柏原藩主(現当主、織田信孝)となり廃藩置県を迎えます。

信長の父・信秀も子だくさんで家康との人質交換に登場した信弘(のぶひろ)とか同じ土田御前(どたごぜん)の息子の信行(のぶゆき)とか登場済です。

土曜日の「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」に出てきた織田家の子孫は織田長益(ながます、剃髪して有楽と称した)の子孫です。

また信長の妹お市の方からは秀吉の側室淀殿や徳川秀忠の正室・江も生まれています、その江の娘・完子が九条家に輿入れしてたずっと後の子孫が大正天皇皇后・節子で、昭和天皇の母となったそうです。やはり戦国のビッグネームですね。


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[2020/05/25 00:00] 歴史 | TB(0) | CM(2)

昨夜放送された「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」では明智光秀の子孫15歳の片平凌吾さんが博士ちゃんとして登場しました。裏切者としてダーティなイメージが多かった光秀に対する考察をリモートで解説してました。

まずは彼の家系図から行くと細川ガラシャの子孫ということです。熊本細川家ですから首相だった細川護熙氏がいますし祖父は政治評論家の細川隆一郎氏、その娘・細川(片平)珠生氏の息子となります。



彼は本能寺の変の新説として「てへぺろ説」を唱えています。これは東大の本郷和人教授も唱えている説で、当日の京都周辺の警護具合や本能寺の地理学的危険性などを「英雄たちの選択」だったかでも解説されてましたから千載一遇のチャンスだったのも大きな理由のひとつでしょう。

ほかにも信長からつけられたあだ名「きんかん」頭のことも紹介してましたし、徳川家康を饗応したのが休暇中に強制的に呼び出されたあげく魚が腐っていると打ちすえられたなど小ネタにも触れていました。また大きな原因のひとつ長宗我部との和平交渉を反古にしたことも話しました。そのうえでの「てへぺろ説」です。

若干15歳の片平凌吾博士ちゃんはアメリカのボストンの高校に留学中。英語ペラペラ。いまはコロナで帰国して自宅からのリモート中継ということでした。

もうひとつ面白かったのは対する織田家の子孫がやはりリモートで参加してきたことです。織田裕美子氏。信長の弟から17代目だそうです。信長の弟で著名なのは織田有楽斎かな?と思って調べてみたらドンピシャでした。



有楽斎の子孫らしくお茶の家元です(有楽流)。パッと見はそこらのおばちゃんです。番組の趣旨を斟酌されて
「申し訳ない」とか「俳優もいまの長谷川博己さんなら格好良くていい」
とか歩み寄られ、ナカナカ歴史的な対面をされたのが面白かったです。

ただ・・・
信長の直系でなかったことが残念です。
有楽斎も大名家として生き残ったし織田家の末裔ですから不足はないのですが。

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[2020/05/24 00:00] 歴史 | TB(0) | CM(4)

先回の「麒麟がくる」長良川の戦いに敗れた斎藤道三の墓代わり、道三塚。そこにある案内板の当時の地図に示してあるかつての長良川。その流路跡を探索して来ました。

現在の地図と長良川の戦い時の地図を較べてみましょう。上図の「源流部」と「合流点」を結ぶ小河川が見えますでしょうか?それが今回探索してきた早田川(そうでんがわ)です。

(どちらも画像をクリックすると大きな画像が開きます)




下図と較べると屈曲具合がそのまんまですよね。
拙HPに詳しいレポート(早田川、早田川2)を上げましたが、昭和の初期に長良橋下流にて古川(本流)、古古川を締め切って現在の流路一本に統合しました。その跡地を学校などの公共施設群に利用しました。いまやメモリアルセンターをはじめとした文教施設地区になっています。

下の写真、左上がメモリアルセンターから出てきた源流部、暗渠になっています。右上が暗渠から顔を出したところ。鷺山変電所前です。左下が岐阜県福祉友愛プール付近(昔はその西側、福祉友愛アリーナに市立伊奈波中学校がありました)。右下は「コミュニティ水路 早田川」早田西公園内に早田川から水を引き込み、親水エリアと遊水地を兼ねています。



左上は高校野球で有名な岐阜県立岐阜商業高等学校(通称県岐商)と岐阜北高等学校の中間点にある早田川の看板。右上は岐阜北高等学校と市立岐阜清流中学校(昔の明郷中学)の間にある早田川の看板。左下は市立城西小学校(じょうさい)と島中学校。右下が伊自良川との合流点にある早田川排水機場。内水河川の常として排水ポンプ場があります。



排水機場の写真には遠くに金華山・岐阜城も小さく写っています。

拙HP(早田川、早田川2)にはもっと詳しい説明を載せてあります。物足りない方はご笑覧ください。


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[2020/05/16 00:00] 歴史 | TB(0) | CM(4)

大河ドラマ「麒麟がくる」
長良川の戦いを次回にひかえ、斎藤道三が葬られた道三塚をあらためて確認しに行ってきました。



ウチの小学校区でも西の端に近いところ、長良川スポーツプラザの西方、住宅街のど真ん中にあります。
新型コロナのステイホーム渦中での「こどもの日」、子連れファミリーが見学に来ていました。

(クリックすると大きい写真がみられます)


道三塚の経緯、長良川の戦いなどが解説してあります。
おおかた大河ドラマ「麒麟がくる」のストーリーどおりです。

4月18日に道三が鶴山に布陣したこと、4月20日に長良川で義龍と対陣。「中の渡し(なかのわたし)」で激戦が繰り広げられたそうです。

また土居口(つちいぐち)で戦いがあったという史料もあるそうです。土居口の戦いの場所は天神川の鯉のぼり記事の福光橋の下流と岐阜北警察署との中間点くらいの場所になります。また地図に出ている旧高富街道は馴染み深いですが旧伊自良街道は私は知りませんでした。伊自良では方向的に30度以上違和感があります。

そして「中の渡し」ってどこかと思ったら、メモリアルセンターマラソンゲートの前でした(下の地図参照)。
(クリックすると大きい写真がみられます)


この地図の重要なところは戦いの舞台が昔の長良川だったことです。
現在の長良川は1535年に洪水で分派した井川、当時井の口(いのくち)と呼ばれていた稲葉山城下の井水口を破ってできたものですから、大桑城から南下、鶴山を経て攻め込んできた道三と義龍が対陣するなら本川にあたる古川の両岸ということになります。

(中の渡し付近、現メモリアルセンター前の信号交差点)


奮戦むなしく敗死した道三の遺体は崇福寺の西南(現メモリアルセンター内)に埋葬されますが、塚はたびたび洪水に見舞われたため、江戸末期に常在寺の住職によって現在地に移されたそうです。



塚の碑文は「弘治二辰 四月廿日 齊藤道三公塚」となっています。



卒塔婆も日蓮宗らしく「南無妙法蓮華教」となっています。
西別院の東北方にある「お濃之墓」もやはり「南無妙法蓮華教」です。

現地であたってみると、見落としていたものがアレコレ出てきます。
これらを踏まえ、次回の「麒麟がくる」はどうアレンジされているか見逃せないですよ。


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[2020/05/06 00:00] 歴史 | TB(0) | CM(4)

先回の「麒麟がくる」の最後の場面。
明智十兵衛光秀が家来を集めてはなった言葉は
「叔父上の後を追う。鶴山へ。敵は高政さま!」
でした。

道三・義龍双方から戦の招集を受けたため、光秀は大桑城で道三に会い、戦をしないよう諫めました。まったく聞き入れてもらえず明智の屋敷へ帰ってみると、叔父の光安は道三の加勢に向かった後でした。

それから熟考のすえ道三に味方する決心をしたのですが、道三のもとに向かうのに既に鶴山の地名が出るのは拙速すぎやしませんか。

ここまでの地名を地図に落としてみますと、下のようになります。

1道三最後の戦

1555年10月、稲葉山城で義龍が弟二人を殺害します。それを知った道三は脱出して山県市大桑(おおが)にある大桑城に籠ります。翌年の雪解けとともに情勢が緊迫し、春には合戦を行う事態になりました。

道三の軍は鶴山に布陣し、義龍の稲葉山城と対峙します。鶴山の位置は山間から平野に出てくる手前にあり、標高180mあります。

下の写真は鶴山の麓(標高40m地点)付近からの眺望です。



この高さからも稲葉山城の軍の動きは監視できたでしょうから布陣場所としてはベストポジションでしょう。

次の放送のときにわかるでしょうが、光秀が加勢に来るとしても可児市の明智の庄から35kmくらいあり、1日で辿り着くのはかなり難しいです。しかし稲葉山城下からなら数時間で合流できますし、道三軍が鶴山に布陣することも屋敷で把握可能なように思います。

そして長良川の戦いとなるのですが、道三が討ち取られた場所という道三塚は現在では川から1km以上離れています。ところが当時は下の図のように稲葉山付近で川が分流しており、ちょうど道三塚あたりは古川の河原になっていたのです。

長良川の戦い

なお図にある古々川は1611年江戸時代に洪水によって分派していますので、
長良川の戦い当時は古川と長良川(井川)がありました。
鷺山城の北側には律令制時代の官道、東山道も通っている美濃有数の主要地点です。

ということで、冒頭の「鶴山へ向かえ!」発言など様々な疑問は尽きませんが、地勢的位置など次回の放送の参考になれば幸いです。


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[2020/05/05 20:30] 歴史 | TB(0) | CM(4)

先日の岐阜大河ドラマ館から歴史散策などをしたあとの帰り道です。

こ~んなバスとすれ違いました(゚o゚)



横っ腹に僧形の武将が貼り付けられたラッピングバスです。
おおっ、これは斎藤道三ではあーりませんか!
行き先の所に「大河ドラマ館シャトルバス」とありますから、長良川の雄総河原の臨時駐車場とのシャトルバスですね。シャトルバスが運行されるとは新聞で知っていましたが、お目にかかるのは初めてです。しかも道三バスとはシャレてます。

信長バスのような路線バスではないので岐阜バスのカラーリングにラッピングしただけのものです。



そんな道三バス、中年のちょい悪オヤジっぽい雰囲気がナカナカいいです。

新聞によりますと、もう一台シャトルバスがあるそうです。
その名も「光秀バス」。

当然見たことはありませんが、アップしてあるサイトによると、若々しいイケメン武将のラッピングになっています。この手のキャラクターは女子ウケを狙っているようでチョッチ好きになれませんがね。


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[2020/03/23 18:00] 歴史 | TB(0) | CM(2)

大河館のあと、歴史散歩のつづきです。

道三・信長の城下町から長良川沿いの川原町界隈に進みます。



最も川沿いにある旧いとう旅館あたりでは昭和31年頃映画のロケがあったそうです。当時のポスターをボランティアガイドさんが見せてくださいました。有馬稲子、上原健、沢村貞子、加東大助、高峰三枝子は知ってますが、『白い魔魚』なんて映画は見たことがありません。



そして『薄れゆく記憶のなかで』なんて映画もロケされたそうです。朝ドラ『ふたりっ子』の菊池麻衣子さんしかわかりませんが。



次に庚申堂です。峠漁りをしてますと、『庚申さま』がちょいちょい現れます。今まで民間信仰の類ぐらいにしか思っていませんでしたが、ガイドさんによると、何やら怖い話のようです。

庚申(かのえさる、こうきんのさる、こうしん)とは、干支の一つで、庚申の夜に人の体内にいる三尸 (さんし) の虫が,その体内を抜け出して天帝(閻魔さま)にその人の罪過を告げると信じられ,これを防ぐため道士たちは不眠の行を行なったそうです。

そんな庚申堂の前にある雨水鉢がハートマークとして最近人気になっているそうです。



次は十六銀行川原町出張所(ATM)です。一般の民家を改造し、格子戸と蔵風にしてあります。



出張所の壁にあった看板と当時の頭取・桑原善吉氏の邸宅玄関に貼ってあるお札です。
この「十二月十二日」とは泥棒除けです。石川五右衛門が釜茹での刑に処せられた日から来ています。

この看板にある富茂登出張所は材木町支店と名前を変えたそうですが、その材木町支店はその後もっと南に移転しました。その材木町支店も今は廃店されてATMしか残っていません。もともとの町屋風の建物は残っているのにコンクリート造りの営業店はとっくの昔に廃店。栄枯盛衰の悲哀を感じます。



次に長良橋南詰め東側にある川端康成文学碑と松尾芭蕉の句碑です。
川端康成文学碑は川端康成が伊藤初代との逢瀬を長良河畔で過ごしたことを題材にした小説です。
芭蕉の句碑は有名な『おもしろうて やがてかなしき 鵜舟かな』です。



鵜飼いの句といえば『このあたり 目に見ゆるものは 皆涼し』もあります。招かれた水楼から見る景色の素晴らしさに芭蕉は中国の瀟湘八景や西湖十景にも劣らないとして「十八楼」と命名したそうです。その名を受け継いだホテル十八楼・四季の蔵前には芭蕉の像が立ててあります。



その後、岐阜公園に戻り、岐阜城発掘調査跡を見たりして会は終わりました。

地元で知ってることも多かったですが、ガイドさんに解説してもらうと目からウロコのこともあり、ナカナカ楽しい企画でした。

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[2020/03/19 18:08] 歴史 | TB(0) | CM(2)

岐阜大河ドラマ館を見終わったあと、近くのレストランで食事をしました。信長本店というところです。
お店の様子食事内容も過去にアップしましたのでここでは書きません。

食事のあと、近所を歴史散策しました。岐阜公園に常駐しているボランティアガイドさんに頼んで色々詳しい解説を受けながらの散策です。まずは信長本店と名和昆虫博物館との間にある道を西へ向かいます。すると水路にかかる橋にこんな看板が据え付けてありました。



なになに、百曲通(ひゃくまがりどおり)とな。
下の地図にもあるように稲葉山城(岐阜城)天守に登城するには大手道の七曲(ななまがり)と百曲がありました。
百曲り登山道の麓が名和昆虫博物館の東にあたるのです。

そのあと日本三大大仏のひとつ、岐阜大仏に行きました。三大大仏とは言わずと知れた奈良東大寺、鎌倉長谷、そして岐阜正法寺の乾漆仏の大仏ですね。



そして大河ドラマ館でも複製が展示されていた斎藤道三の自画像のある常在寺に行きました。お寺の前は長年通勤時に通っていたのに恥ずかしながら一度も入ったことはありません。そのためだけに今回参加したといっても過言ではありませんでした(^^ゞ

お寺の本堂のなかに複製は展示してありました。本物は痛みが激しいため非公開だそうです。複製すら写真禁止ということで遠くから写すにとどめました。解説はお寺の壁に掲示してある看板を写したものです。




ちなみに常在寺があるのは先ほど紹介した七曲通に面しています。お寺の反対側には竹中半兵衛の屋敷跡で松尾芭蕉が「奥の細道」の途中で来岐したとき、長逗留(1ヶ月)をした妙照寺があります。結びの地、大垣からはさっさと桑名に行ってしまったのに対して、岐阜には鵜飼見物などで1ヶ月も滞在したとボランティアガイドさんは誇らしげに説明されてました。

次に常在寺の少し西にある梶川堀です。



お城の守りのひとつとして、稲葉山城(岐阜城)にも堀が作ってありました。それがこの梶川堀です。前述の七曲通は西へ行くと本町通りですが常在寺付近では梶川町という町名になっています。斎藤道三・織田信長の時代、梶川堀から東は武家屋敷、西は商工業者などの町屋が広がっていたそうです。




そこから北へ進むと民家横に上のような看板が立ててありました。以前自転車で辿った御鮨街道の出発点にあたります。いままで文献で調べて出発点を勝手に解釈していたので正式な看板を確認できて良かったです。

長くなってきたので続きます。


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[2020/03/16 00:00] 歴史 | TB(0) | CM(2)

今年のNHK大河ドラマは「麒麟がくる」。主人公は明智光秀。
ドラマは岐阜から始まります。

ということで、岐阜県内では4ヶ所の大河ドラマ館が開設されました。
私が住まう岐阜市も最大の舞台なので岐阜大河ドラマ館が岐阜公園の歴史博物館で開催中です。

その手のものには二の足を踏む私ですが、高校の同窓生有志が大河ドラマ館と当時の街並みを探索するというので参加してきました。

初っ端の大河ドラマ館はドラマの紹介(PR)映画やオープンセットの製作映像など面白いものでした。また今回の大河は出演者の衣装がカラフルなのが特徴で、エエッと思うようなビビッドな色使いが印象深いのですが、光秀や帰蝶、道三がドラマで着ていた衣装が展示してありました。

そんな展示物のほとんどは撮影不可でしたが、こちらのコーナーだけは撮影可能ということで撮ってきました。



稲葉山城の広間、道三が光秀らに謁見する場所がセットにしてあります。
両側に立ててあるのは斎藤道三と妻の深芳野のパネルですね。本木雅弘と南果歩が扮してます。

後ろの壁には道三がデザインした家紋「二頭立波」が描かれています。床の間?に飾ってあるのは兜です。



織田信秀が稲葉山城下に攻めてきたときの合戦シーンで斎藤道三がかぶっていた兜ですね。
兜の前立てが月をイメージしたデザインです。満月、三日月など3種類の形で月の満ち欠けを表現しているそうです。
この兜は伊達政宗の兜と似ていてカッコいいなあと思っていましたから大満足です。

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[2020/03/13 00:00] 歴史 | TB(0) | CM(8)

なかなか皆さんから返答や突っ込みがないので答えを書きます。

この器具はハエを捕らえるものです。
1.天井にとまった「ハエ」を器具の先に付いている漏斗で下から蓋をします。
2.驚いたハエが飛ぼうとしても周りのガラスにぶつかって下の管の中に落ちます。
3.落ちた底には水が入れてあって溺死(餓死?)する。
という原理です。



殺虫剤要らずの優れモノでした。
名称は調べてみると「ハエトリ棒」というそうです。
デメリットは天井にとまったハエにしか効かないことと、
細長いガラス管が折れたり割れやすいことです。

名前や画像を探すためにガラス製ハエ取リ器で検索したところ下のようなものがヒットしたので、かえって驚きました。



原理は同じで、ハエが上下に飛べないことを利用した捕獲機です。
こちらのものは現代でもペットボトルを改造して使用されているそうです。

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[2020/02/17 00:00] 歴史 | TB(0) | CM(2)

突然思い出したのですけど皆さん、これなんだかわかります?

子供の頃わが家にありました。女房に
「ガラス製の筒が1メートルくらい。底が球状でそこに水を入れて使用。筒の先に漏斗がついているもの知っとるか?」
と尋ねると
「知らない。うちにはなかった」
と返答されました。



ネットで探した画像です。目的は同じでも全く違う仕組みの形状のものがあるのには驚きましたが、こちらの方がアクティブに効果を出せると思います。子供ながらに面白がって使っていた覚えです。

ご高齢の方はご存知でしょうし、お持ちになっていた方は大変懐かしいと思われるでしょう。


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[2020/02/14 00:00] 歴史 | TB(0) | CM(2)

昨日11月29日は語呂にちなんで「いい肉の日」なんだそうです。

じつは数年前、息子が結構式の日にそう言ったので知りました(^^ゞ
ですから11月29日は息子の結婚式の日でもあります。
ついでにおデブタレントの内山信二も結婚したそうです。

もうひとつ。11月29日は我が母校の創立記念日です。
数年前の大河ドラマ「八重の桜」の主人公、新島八重さんが関わっています。
今週の水曜日、東大王のクイズ「12アンサー」にも偉人として写真が出たので嬉しかったです。
私ゃ一発でわかりました。



創立記念日の前夜祭(EVE)が学園祭であったこと。
よその大学より半月から1ヶ月遅く、時季的に寒かったこと。
クラブで出した模擬店で「お好み焼き」や「みたらしだんご」をやったことなどが思い出に残っています。

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[2019/11/30 00:00] 歴史 | TB(0) | CM(2)

今年も岐阜公園の菊人形・菊花展に行ってきました。



当ブログで取り上げた菊人形ものはこれだけあります。

2018年 信長公 松平元康との再会
2016年 信長公 伊奈葉山城を攻略
2015年 信長公 梁田雅綱に一番手柄を授ける
2014年 信長 官兵衛に愛刀を授ける
2013年 信長 漆黒の異国人を召し抱える
2012年 茶を愛した信長の思い
2011年 信長と浅井三姉妹
2010年 信長まむしに会う
2009年 ルイス・フロイスに食膳を運ぶ信長公
2008年 菊花展

今年の菊人形テーマは冒頭の写真のように「戦国武将ゆかりの地 岐阜」だそうです。
ご存知のように来年の大河ドラマ『麒麟がくる』にあやかって明智光秀になるのは自明の理です。



で、展示を見ましたら織田信長は当然います。あと斎藤道三が加わっていました。これも光秀との血縁関係(道三の妻が光秀の父の妹)から妥当なところです。しかしこの三人が実際に一堂に会したことはないでしょう。特に道三が生存していた頃に信長が美濃領に入れるはずはありませんから稲葉山城をバックにすることはありえませんね。

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[2019/11/05 21:27] 歴史 | TB(0) | CM(4)

毎度毎度、長良川鵜飼の話で恐縮です。

今月になってから鵜飼観覧をしていたら屋根に黄金の麒麟を載せた観覧船が出船していました。



そういえば岐阜新聞にも載ってました。その記事によりますと

NHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」が放送されるのに合わせ、来年1月11日から岐阜市大宮町の市歴史博物館内に開設される大河ドラマ館をPRしようと、中国の想像上の霊獣「麒麟」のオブジェなどで装飾された長良川鵜飼の観覧船が30日、同市湊町の鵜飼観覧船乗り場でお披露目された。
 市が企画し、ドラマに登場する帰蝶(濃姫)にちなむ50人乗りの観覧船「帰蝶丸」の屋根に、高さ1・5メートル、奥行き1・6メートルで金色をした麒麟のオブジェと、ドラマ館をPRする看板を設置。船の周囲にはのぼり旗も掲げた。イベント時に運航する「踊船」もオブジェなどで飾った。
 2隻は、今季は鵜飼が閉幕する今月15日まで運航され、来季も引き続き運航される。


とのことです。「帰蝶(きちょう)」といえば光秀の従姉妹といわれているので麒麟のオブジェを飾るにはふさわしいです。しかも50人乗りの大型船なので見栄えも良いです。鵜飼観覧船には信長丸も存在したと思うのですが、信長では洒落になりませんよね。

新聞記事には「踊船(おどりぶね)」にも飾ったとありますので合わせて写してきました。「踊船」は鵜飼が始まるまで待っている観覧船の周りで「柳ヶ瀬ブルース」「長良川艶歌」など岐阜ゆかりの歌に合わせて浴衣姿の踊り子が踊るものです。川船の上に踊り舞台がしつらえてあります。



「帰蝶丸」は50人乗りでしたが「踊船」は20名になっています。でも見てると踊り子さんはたいてい6名ほどです。立って踊るので大人数では不安定になりますしね。





動画は「鵜飼オフ」のときに撮ったものです。「長良川艶歌」のときに撮りました。

来年の大河ドラマ「麒麟がくる」は中国で生まれた架空の生き物「麒麟」。性格はやさしく殺生を嫌う霊獣で、仁のある政治を行う名君が誕生したとき現れるそうです。戦国時代を早く終わらせる名君が出ないかという民衆の願いを具現化した象徴としてネーミングしたのでしょう。

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[2019/10/10 11:56] 歴史 | TB(0) | CM(2)

家の近くの長良川にウォーキングを兼ねて鵜飼を見に行ってます。曜日や観覧船の出船数、川の水量などによって鵜舟の動きが日々変わります。

鵜飼は1艘の鵜舟に3艘ほどの観覧船がくっついて下っていく「狩り下り」が基本です。それを上と下で観覧船を入れ替えて行います。一度下った観覧船はそれぞれ指定位置(両川岸)で待機します。鵜舟は一度下ったあと6艘がフォーメーションを組んで行う「総がらみ」の待機位置に向けて川岸を遡ります。

しかし観覧船が多数になったり、川の水量が多くて流れが早いときなどは河原に近い辺りに全観覧船を縦に並べ、全6艘の鵜舟が順々にその周りを一度下って反対側(岸側)を遡るという方法をとります。こちらの方が全鵜舟を見られますから観客からするとお得なような気がします。

最後の「総がらみ」は鵜舟6艘が横斜め一列に並んで一斉に下ります。先頭の鵜舟だけは右岸に並んだ観覧船(5~8艘)側で鵜を操ります。それに対し2番船以降は反対側の左岸に並んだ観覧船側で鵜を操ります。



そうして右岸側の観覧船の前を通り過ぎると一斉に転針し、左岸側の観覧船に横一列で進み、最後に船端を櫓で「ドンドン」と叩いてお礼をします。その後左岸側で種々の後始末をします。観覧船が少ない(20~30くらい)と観覧船群の中に入って後始末をの様子を見せてくれるのでなかなか楽しいです。

この「総がらみ」を2度3度とやることがあります。特別料金を払った団体客(船)があると、その船のためにだけ「総がらみ」を行います。岸辺で見ている私たちからすると2度「総がらみ」が見られるので美味しい日です。毎晩岸辺の観光客に勝手に解説をしているおじいさん曰く「特別鵜飼」だそうです。観覧船の前頭部に提灯を掲げて少し上に出てきますのでわかります。

こういう日は「総がらみ」に出てきた鵜舟たちはフォーメーションを組んだら一斉にその一艘の特別船に向かって進みます。その船のお客から見たらたぶんこういう風に見えるでしょう。写真は8月18日台風一過後に行われた特別鵜飼からです。




で、昨夜はそのあと鵜飼観覧船乗り場前まで行くと横一列に文字数字が並んだナンバープレートが付いたベンツが停まっていました。これは大物に違いない。たぶん特別鵜飼の主賓用の車だと思い、橋の上から確認しました。

最初に船から降りてきたのは白髪の老人。風貌からは岐阜新聞の会長・杉山さんと見ました。つづいて通訳を連れた恰幅の良い人。漏れ聞こえてくるのは中国語らしい。その一団はマイクロバスに乗ってホテルへ向けで帰っていきました。「万歳」の声に送られて。たぶん日中友好なんちゃらの人たちでしょう。

なるほど戦前のチャップリンとかこういう形で鵜飼を楽しむのだなと思いました。

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[2019/09/29 18:10] 歴史 | TB(0) | CM(2)


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